イジメを理解した時
小学生時代に引っ越し前後でイジメに合っていましたが、街の方で習っていた水泳では誰も私をイジメる事はありませんでした。
とある日、私は旅行に行く事になりお小遣いがちょっとしかない事に気が付きました。これではお土産とか買えない。
私は自分の財布を水泳に通っていた仲間に売ってお小遣いを増やそうと考えました。
当然小学生で物の売買なんて普通はしませんが、私は気の弱い子の気の弱さにつけ込んで財布を売ってしまったのです。
私はその時は気が付きもしませんでしたが、れっきとしたイジメ・カツアゲを自分がした事に気が付きショックを受けました。
イジメをしている本人は無意識で行っている。
その時に罪の意識や躊躇など無い事に気づきました。
また、しっかりと拒否(財布はいらない)をした人にはそのような事をしなかった。
それを思い出し、イジメを受けていた学校で自分の意思表示をする事によって徐々にイジメは無くなって生きました。
しかし、私が傷つけた仲間は水泳教室へ戻って来なかったのです。
イジメと転校とイジメ
寺院継承の為退職しましたが、それにより家族も私の実家地方へ引っ越しとなりました。一足先に引っ越しを済ませ、本日まで単身赴任でしたが心配は長男がイジメに合わないか?私はイジメ経験者なので非常に心配です。
私が小学生の時に和尚だった祖父が癌で余生が長く無い為、家族で実家の田舎へ引っ越しました。
しかし私は引っ越し前からイジメに合っていた為、このイジメから逃れられた!と思い、引っ越しに前向きでした。
しかし、現実はそう甘くなく、引っ越し先の小学校でもイジメに合う日常。転校はイジメの解決にはならないことを知りました。
何故私はイジメられるのか?自問自答しながらも先生や親にもバレたく無いと自身のプライドが邪魔して相談も出来ませんでした。
私は他の子供達とは異なりスポーツ少年団に属していませんでした。それも仲間外れの原因だったかもしれません。私はみんなとは違って1人だけ水泳を習いに街に通っていました。
でもそれが私にイジメられる日常と異なる別の世界と自信を与えてくれました。
二人の親友
退職直後のGWに親友の墓参りを親友と行く予定にしています。
二人とも大学入学直後に知り合った友達ですが、親友A氏はバイク仲間で会社の同僚でもあり、親友Y氏はバンドメンバーでした。つまりは私のバンドメンバーの墓参りです。
Y氏が亡くなって10年。自殺が原因でした。
社会人になってもバンドを続け、イベント関係を仕事にしながら好きな事と共に生きていたY氏。
何故自殺しなければならなかったのか 今も謎のまま。ただ彼の葬儀の参列に300人。香典の無い人を含めると一体何人来たのか…
彼を必要としていた人、感謝していた人が多くいた事には間違いないと思います。
今もこうして彼に感謝している人が10年間変わらず墓参りをしています。
呆気なくfin…
実家の寺継承の為、13年間勤めた会社を本日で退職しました。
いつも通り、書類の承認や指示したり、強いていうなら暇な事くらいです。
このまま終わるんだなぁと、各課のお世話になった方々に挨拶をして回り、全拠点へ挨拶メールも送り、最後に所長に挨拶をした途端、溢れて止まらない涙。
基本泣き上戸なので、敢えて軽いノリで明るい挨拶で通していたんですけどね。
思い出すと頑張って来たんだなぁ…沢山色んな人に支えて貰ってきたなぁ…と只感謝で一杯になってしまいました。
勿論、妻にも感謝の電話をしたところです。
私は支えてくれる人が沢山いて幸せです。
私もこれから色んな人を支えていきたいと思います。
趣味…煩悩の塊
お題「あなたの趣味遍歴」
まず趣味にしたい事の基本がカッコイイ事。
○○が趣味ってカッコイイ~!と単純に自身で思い・世の女子に思って頂きたくて始め、現在に至る事が、ギターとバイクです。実家が寺であるが故その反動か?ギャップを狙ってか?
大学時代はまさにバンド一色でした。
軽音楽部に入ると決めてましたから。
新入生歓迎ライブに新入生なのに出たくらい…目立ってモテたかった…。
髪も長髪にしてチャラチャラして。
一生懸命バンドに勤しんだ大学時代。
親友と呼べる仲間が出来ました。
GWに親友と一緒に親友の墓参りの予定です。
趣味は人を深く繋げる
夢実現もサラリーマン
工業高校時代に彫刻を美術の先生が激烈に褒めてくださり、その気になって美大へ進学しました。
兄の病気もあり、葛藤しましたが就職氷河期で地元には求人を見込めず、デザイナーを諦められずに都会で就職しました。
最初の3年をブラック企業に勤め、心身追い込んで仕事をしました。そこで社会人の基本と仕事の基本を学ばせて頂きました。
友人の進めで中堅企業に転職成功。精神的に不安定なままも何とかこれまでやってこれました。
ブラック企業ではないものの苦しい13年間。
気が付けば、デザイナーとして誇れる物を沢山世に送り出せました。
部下も沢山持たせてもらい、大手有名企業とのやり取りは日々緊張の連続でした。
デザイナーという肩書きを越え、あらゆる現場を経験出来た事は貴重な体験でした。
それもサラリーマンだったからですね。
単なるデザイナーだけでは経験出来なかったかもしれません。
それも明日で最後です。